日本人の宗教観に見る野球とサッカーの関係
みなさんは初詣などでお寺や神社にお参りはされるだろうか?
多くの日本人は初宮参りや七五三、結婚式などを神式で行い、お葬式やその後の法要などは仏式で行うのが一般的だろう
また仏壇と神棚 その両方が家庭にある方も多いはずだ
ところが立ち止まって考えて欲しい
仏教とは古代インドにおいてブッダ(釈迦)がこの世の苦しみからの解放を目指し、開いた宗教だ
一方、神道は日本人の古来からの自然などに普遍的に宿る神への信仰から生まれた原始的宗教だ
つまり信仰として全く方向性の違う宗教だ
いや、方向性が似ていても二つの宗教を同時並行で信仰するのは海外の人から見れば奇怪であろう
ではなぜ「神仏習合」と呼ばれる日本独特の宗教観が出来上がったのだろうか?
まず神道サイドに近づいたのは仏教サイドであった
聖武天皇によって奈良の大仏、東大寺が建立されることになるが東大寺の鎮守神、つまり守り神として今の大分県にある宇佐神宮の八幡神が勧請される これが手向山八幡宮だ
また天台宗を開いた最澄は比叡山に延暦寺を建立するにあたり元々この地に鎮座していた日吉大社の山王神を延暦寺、ひいては宗派全体の守護神とした
また最澄と同じ時代を生きた真言宗の開祖・空海も高野山に金剛峰寺を建てるにあたり高野山の神である丹生都比売神社を崇敬した
この世の苦しみからの救済を説く仏教の教えに生身の人間だけでなく日本の神々も仏法への帰依を求めていると考えられるようになった
実際にそのような神からの託宣があったという記録も残っている
そして神前での読経や神宮寺と呼ばれる神社の境内内の寺院が建立されるようになる
そしてその代表的な具現化が「八幡大菩薩」である
その後、さらに寺と神社は接近することとなる
本地垂迹説の登場だ
日本の神とは仏が日本の衆生を救うために仮の姿として現れた「権現」であるという思想だ
仏と神は合一であるという考えによりさらに両者は統合していくこととなる
さあ話を現代の日本のスポーツに置き換えよう
現代の日本においては野球とサッカーの二つが大きな大衆スポーツとして存在している
プロ野球というのは読売新聞が全国で巨人軍の宣伝をしたり首都圏でカープファンが急増したりと地域を越えてファン拡大を図っているのに対し、Jリーグはクラブには地域の代表たる側面を持つことを規定している
つまりプロ野球は自宗派の教えを分け隔てなく広めようとする仏教的な存在であり、Jリーグは地域の人々の心のよりどころになろうという点で神道的な存在であろう
まあなんせ坊主がやるのが野球で八咫烏がエンブレムなのがサッカーですからね笑
つまり違う競技の文化を持ち込もうというのは極めて日本的な考えであるといえる
我々HINCHADA HIROSHIMAがやろうとしているのはまさに文化の調和である
普段サッカー場で活動する我々が野球場で活動するのはカープをサッカー文化によって守護することであり
普段野球場で活動する我々がサッカー場で活動するのは苦しむサッカーを野球文化によって救済することなのです